† 2005年 9月 †
わたしに耳を傾けていなさい
吹田教会前助任司祭 故 M. カリエ (C. Ss. R)
皆さん、今月の話は、
7月号のことばの続きで、私の選んだ者、私のものたちの幸せのために、イエス様が1999年の間カナダのケベックの平凡な信者で、父親と実業家であるレアンデ・ラシャンスに語られたものですが、同時にその人を通して私たち一人一人にも語られたメッセージです。
"わたしに耳を傾けていなさい"
私の幼い子よ、私の選んだ者よ、あなたはますます私に導かれるままにならなければなりません。そのために、私にますます耳を傾ける必要があります。
どのようにして完全に神に耳を傾けるのでしょうか?と、あなたは自問するでしょう。あなたがより一層私に耳を傾ける助けとなるであろう幾つかの注意するところを述べましょう。
- 起きてくるどんな煩いも、すぐに私に回しなさい。
- 自分は何もできない、小さい者であることを承知しなさい。
- 起きてくるすべての状況を受け入れなさい。
- あなたの出会うすべての境遇(良くても、悪くても)について、おん父を祝福しなさい。
- おん父の方に絶えず目を向けなさい。
- どんな物事についても、またそれがどんな方法で来たとしても、おん父、ただおん父だけを当てにしなさい。
- 頂いているすべてのために、また頂くであろうすべてのために、前もっておん父に感謝しなさい。
- 方法や内容がどうであっても、おん父があなたに下さるすべてを快く受け入れる心を持ちなさい。
- 心の中に感じる促しに気を配って、それがおん父から来たか、よそから来たかを見分けるように祈りなさい。
- 祈り、観想、礼拝のため、また秘跡を受けるために、もっと時間を割り当てなさい。
- 世論の動向からの影響を決して受けないようにしなさい
。
- 自分が何者であるか、何をしているか、何を持っているかなどを忘れて、神の望むことだけを望むようにしなさい。
- 自分のイメージや自分の名声や自分の持ち物を失う用意をいつもしていなさい。
- 自分の思いや信念を捨てて、神の方をいつも受け入れる用意をしていなさい。
- 祈るとき、礼拝するとき、私に全く耳を傾けるために、静かな長いひとときを割きなさい。
- 子よ、私に耳を傾けることは、愛になるために、新しい教会、新しい社会に入るためにもっとも安全な道です。
メッセージは以上です。
以下は、レデンプトール会のL・マクニコル神父さまの感想です。
- このプログラムに従って生活するためには、まずこれを頭に入れなければなりませんから、毎日ゆっくり読み返す必要があります。
- 私たちの天のお父さんは、私たちにものを命じ、あるいは勧められますから、私たちはこれに反応し、同意を示すべきでしょう。
例えば、1. の「起きてくるどんな煩いも、すぐに私に回しなさい」というお勧めに対して「はい、私の神よ、-あるいはイエスのように、-アッバ、はい、おとうさん、私は今日もこれをしたいのです。」と、お答えするのです。
以下、15番まで同様です。言うまでもなく、これは皆、信仰上のことです。自分が神の子であることを知り、この事実を認めていますから、結論ははっきりしています。
私はこのように生きるべきですから、このように生活したいのです。感情は最初はおそらく伴わないでしょうが、徐々にそうなるに違いありません。
- それゆえ、寝る前にこのプログラムを読み直し、実行できた機会を、成功や失敗に関係なく思い出し、翌日新たに努める決心をすることです。私たちに求められている事は、成功することではなく、この道を歩くことを信仰に基づいて望み、思い出すときに、いや、おん父が思い出させて下さる時に、歩こうと努力によって愛に答えるのです。
- このプログラムはとても具体的で、またとても簡単なもので、心理学者やカウンセラーの指導よりずっと価値があり、効果的なものです。
これは、内的平和を保ち、味わい、また他人にこの平和を分け与える最も確かな方法です。これはもちろんたちまち出来ることではないでしょうが、それは私たちに求められていません。大事なことは、15か条の一つ一つに次のように言う事です。
“はい、お父さん、私は今日これをそうしたいのです!”・・・それから成功したか、失敗したかを評価せずに、天のお父さんにゆだねるのです。平和の道ではありませんか?努力の結果は確かです、たとえ見えなくても。
それは自分の成長が見えない子どもと同じです。神様だけに・・・また時には他人にも、もしかすると時々自分自身その成功が見えるのです!・・・
イエスさまの望んでおられるように、新しい社会に入るために、私たちが愛になるために、この最も安全な道を歩くように、お互いのために祈りましょう。豊かな祝福がありますように。