† 2010年9月 †
「わたしたちは十字架につけられたキリストを
宣べ伝えています。」
現吹田教会助任司祭 萩原義幸
7月号の「いぶき」で、日本の殉教者のお話をしました。そして、9月は日本205福者、聖トマス西と15殉教者のお祝い日があります。日本205福者は
9月10日(金)で、聖トマス西と15殉教者は9月28日(火)です。日本では、なぜこれほどまでもたくさんの殉教者を記念しているのでしょうか。
1549年にフランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教をもたらして以来、日本における宣教が始まりました。しかし、現在に至るまで目に見える迫害と目
に見えない迫害の中でキリストを宣べ伝えることへの難しさを日本の教会は感じています。そのような中にあって、日本の教会は最も迫害が厳しかった時代の聖
人と福者を思い起こすことによって、わたしたちがキリスト者としてこの日本の社会の中で生きる時に感じる困難さを乗り越えて行くように励ましているので
す。
日本205福者は、1617−30年に迫害を受けて殉教した宣教師と信徒ですが、聖トマス西の方は、1633、34、37年に長崎で殉教した人々です。
どちらも徳川幕府の禁教令によって迫害を受け信仰の故に生命をささげていった人々でした。
1597年2月5日、長崎の西坂の丘で26聖人が殉教します。キリストを信じることで受ける迫害や拷問など、力による圧力を前にして、信仰を捨てる者が
増えると考えられていました。しかし、宣教師やキリスト者たちは、厳しい状況の中にあっても必死の努力を続けます。そして、信者の数は日ましに増えていっ
たといわれています。このキリスト者の勢いが、1600年の関ヶ原の戦いで天下をとった徳川家康には天下統一に有害なものとうつったのです。
このときから、1873年、明治6年頃まで長く過酷な迫害の歴史が続きます。しかし、この長い迫害期にあって、わたしたちキリスト者が気づいたことがあ
りました。それは、信仰こそがこの世の生命をはるかに超える輝きを見せることを殉教者たちがわたしたちに示してくださったことです。
殉教は神からの恵み・・・そして、信仰もまた神からの恵みです。頂いた恵みをどのように育てていくのかが、わたしたち一人ひとりに問われているのかもし
れません。
9月にお祝いする殉教者たちは、キリストの十字架上の死を見つめていたのだと思います。9月14日(火)の十字架称賛の祝日に殉教者たちが目指したキリ
ストの救いの姿があります。わたしたちもこの一ヶ月の歩みを通して、十字架上で示された愛に強められて、受けた信仰を育てていきたいものです。
「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。」
(一コリント1.23.)