昨年10月から毎週火
曜日に「聖書の集い(み言葉の分かち合い)」を開いています。これは次週の主日のミサの福音を味わい、いま私たちの中に現に生きておられる、復活されたキ
リストとの関わりを大切にします。み言葉の分かち合いは以下のことを目指しています。
- 私たちの日々の生活の中で神様が共にいてくださることを発見する
- 共に信仰の道を歩む共同体作り
- 霊的成長
- 主日のミサを深める
一人ひとりに語りかけてくださった神のみ言葉について、みんなと分かち合うというやり方で行っています。この分かち合いはキリストのみ言葉を「理解する
こと」だけではなく、愛する人と出会うようにキリストと直接出会うことです。ですから、聖書研究とは少し違います。聖書研究では神やキリストがされたこと
を研究するものですが、み言葉の分かち合いは復活した主と直接に出会い、主の現存を実感することですし、聖書研究は信仰の根拠についての知識を得ることを
目的としますが、み言葉の分かち合いは神からのいやし、なぐさめ、力をいただくものです。
聖書は、キリストのみ言葉が成就されていく現場に私たちを導き、開かれた門の役割を果たしてくれるものです。聖書を声を出してゆっくりと朗読すること
で、今も私たちと共に生きておられるキリストと私たちがその場で出会うことが、それほど難しくはなくなります。
もちろん、ひとりで聖書を深めることも可能なことです。「聖霊の働く機会が増え、み言葉があなたの生活に示す意味をより理解できるようになるでしょう。
みことばの豊かさが味わえるようになり、そのみことばがその週の間あなたの伴侶となるでしょう。あなたの毎日の生活が、霊的にも行動の面でも日曜のミサに
結びつき、そして世界の教会共同体とも結びつくようになるでしょう。」(『レクチオ・ディヴィナで味わう主日の福音』、日本聖書協会より)
毎週コンスタントに聖書を読むためには、ある程度の決断と勇気が必要ですが、共同で分かち合うことによって、互いに励まし合い共同体として歩む力が聖霊
の光によって照らされるのではないでしょうか。
また、私たちは参加者が安心して分かち合いをすることができるために、集いの場で聞いたことを他の場で話さないことに注意します。ここで話されたこと
が、他の場所で他の人に伝わるならば、だれも安心して話すことはできません。「分かち合い」で聞いたことは、私たち一人一人の胸の中に収めることを約束し
ます。
この集いはいつでも出入りが自由で、発言せずに聞くだけでもかまいません。ですから、もっと多くの信者さんが私たちのメンバーになって、もっと神様のみ
声を聞くことを期待しています。どうぞいらしてください。今週の灰の水曜日から始まる四旬節は、復活祭をふさわしく迎えるために、キリストの十字架の道を
思い、回心の道を歩むときとされています。心を神に向け直し、そこから神との関係・人との関係を新たに生きることを「み言葉の分かち合い」を通してチャレ
ンジされてはどうでしょうか。